吉田 穂高

1926–1995

バイオグラフィー
吉田穂高(Hodaka Yoshida, 1926–1995)は、伝統的な木版画を基盤に、写真製版やシルクスクリーン、リトグラフなど多様な技法を取り入れ、戦後日本の版画表現に新たな可能性を切り拓いた版画家である。東京都に生まれ、洋画家・版画家として知られる吉田博を父に持つ。兄の吉田遠志、妻の吉田千鶴子らとともに、近代日本美術史における「吉田家」の芸術家の系譜を形成した。
1940年代末より油彩画を制作し、日本アンデパンダン展や太平洋画会などに出品。1952年には日本版画協会第20回展に木版画を出品して入選し、以後、版画を中心に活動するようになった。1955年、アメリカおよび中米を旅行し、マヤ文明の遺跡や古代文化に強い刺激を受ける。帰国後は、原始美術や古代文明から得たイメージをもとに、抽象的な木版画へと作風を展開した。1956年には第1回シェル美術賞で三等賞を受賞した。
1957年には母・吉田ふじを、妻・吉田千鶴子とともに世界一周旅行を行い、その後も45か国以上を訪れるなど、旅を創作活動の重要な源泉とした。特に旅先で目にした壁、塀、柱、標識、建物など、日常的な風景や都市の断片に強い関心を寄せ、それらを独自の視覚表現へと変換していった。
1963年の渡米では、当時のアメリカで展開されていたポップ・アートに触れ、大きな影響を受ける。この経験を契機として作品に写真製版を導入し、木版と写真製版を組み合わせた独自の技法を確立した。伝統的な木版の色彩や質感と、写真による複製的なイメージを組み合わせることで、現実の風景と記憶、抽象と具象が交錯する独特の作品世界を形成した。
1960年代以降は、木版を中心に、写真製版、シルクスクリーン、リトグラフなど複数の技法を横断しながら制作を続けた。代表作には《呪術者》(1956)、《セレモニイ・青》(1963)などがあり、東京国立近代美術館をはじめとする国内の美術館に作品が収蔵されている。
国際的にも精力的に活動し、東京国際版画ビエンナーレをはじめ、ルガノ、ソウル、リエカなどの国際版画展に参加。1972年にはソウル国際版画ビエンナーレで大賞を受賞するなど、海外でも高い評価を受けた。1980年には日本美術家連盟理事を務め、1988年には町田市立国際版画美術館で初の回顧展が開催された。1990年には紫綬褒章を受章。1995年、69歳で逝去した。
吉田穂高は、吉田家に受け継がれた木版画の伝統を継承しながら、それを写真や現代的な印刷技術と結びつけることで、戦後の日本版画に新たな表現領域を開拓した作家である。その作品は、旅を通して出会った世界の断片を、記憶とイメージの重なりとして再構成した独自の版画表現として現在も評価されている

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