Norman Tolman and Shinoda Toko / 篠田 桃紅とノーマントールマン

2020.03.11(Wed)

篠田桃紅(1913生)とトールマン(1936生)

ノーマン H.トールマン (Norman H. Tolman)はアメリカ外交官の 職を30代で捨て、1970年代前半に 日本の現代版画を主に海外に紹介(販売)する画商のみちに入った。外交官として最後のポストは京都アメリカン文化センター館長、兼ア メリカ領事。かねてより妻とともに日本版画に魅せられ蒐集もしていたトールマンは東京に転居後、ほそぼそとディーラー活動をはじめ た。幾人かの扱い作家をもってはいたが篠田桃紅との出会いがトールマンの画商人生を大きくかえた。当時すでに芸術家として名をなして いた篠田に対し、知識、経験、財力に劣るトールマンが異国の地で対等にビジネスを執り行うには苦難がつきまとった。

しかしながら日本国内においては異国人であっても、一歩海を越えればそこにはトールマンにとって大き な未開拓と言ってよいほどのマーケットがあった。その頃すでに現代日本版画に対する国際的評価はかなり高く、トールマンは篠田版画 (リトグラフ)を世界のコレクターのもとに届ける最大のディーラーへと昇りつめた。アトリエに並べられた発表前の新作を前に、気に 入った作品だけをエディションごと買い付け、顧客に行き渡らせる。その当時、国内は経済成長のさなかにあって、美術品に対する関心は 高まってはいたが抽象画はさほど見向きもされず、とりわけその複数性が特長であるはずの版画に対する評価は不当に低かった。

一方、篠田は1950年代半ば、約2年にわたる滞米生活をおくり、米国でその後もつづく数多くの展覧 会をとおして多くの美術愛好家の心と財布をつかんでいった。芸術家として自立するためには命の次にたいせつな作品を手放す対価を正当 に入手することは当然のことである。ロックフェラーをはじめとする、目の肥えた優良コレクターたちに目を留められ、作品は新しい主の 壁を飾る。現在まで作家の口によくのぼるのがベティ・パーソンズ(1900-1982)である。ニューヨークにあったBetty Parsons Gallery (1946-1982)はジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ロバー ト・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズらを含む多くの著名作家を輩出した画廊だが、ベティとの付き合いから篠田は多くを学ん だ。作家の有りよう、画商の有りようを。それゆえ、篠田との長いつき合いを持つトールマンはベティ譲りの画商のみちを篠田におしえられた幸せ者である。

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