追悼: ノーマン・トールマン 1936 - 2025

2025.01.22(Wed)




ノーマン・トールマン


1936712 - 2025115


 




私たちの最愛の父であり祖父であり、敬愛するザ・トールマン コレクションの共同創業者であったノーマン・トールマンが115日に亡くなりましたことを、深い悲しみとともに謹んでご報告申し上げます。


 


マサチューセッツ州の小さな町に生まれ、恵まれない幼少期を過ごしましたが、努力によって進路を切り拓いてきました。朝鮮戦争で空軍にいたときに初めて日本を訪れたことが、アジア全般への興味をかき立てるきっかけになりました。その後、エール大学とカリフォルニア大学バークレー校で語学を学び、フルブライト奨学金を得て日本への留学を果たしました。さらにNSA(アメリカ国家安全保障局)や国務省の職員(外交官)を経て、最終的には自分が最も愛した日本に家族とともに移り住むことになります。当時取得が大変難しかった永住許可証を、その歴史の中でも相当早期に得られたことを彼は大変誇りにしていました。


 


ザ・トールマン コレクションは1972年、自分の持つ6点の版画を販売するところから事業が始まりました。ノーマンの日本の現代アートへの情熱、作家への賞賛と好意、そして彼らの作品は他の追随を許さず、広く見てもらう必要があるという揺るぎない信念が、ザ・トールマン コレクションを世界有数の日本版画の版元に導いたのです。彼はザ・トールマン コレクションの作家たち一人ひとりの功績を、彼らの指導者、友人として彼ら自身よりも誇りに思っていました。彼は自分の仕事を愛し、共に働く人々を愛し、そしてその間一緒に過ごすことができた人々皆さん全員を愛してきました。


 


ノーマンについて思い浮かべることは沢山あるでしょう。小話が大好きだったこと、機転が利いたこと、生来の良識と優しさを持ち、尽きることのない人生への貪欲さを持ち、温厚な精神と時間やお金に対して寛大であり、ノーマンのガイドがなければ出会えなかった作品がリビングルームの壁に飾ってあったり、あなたが学芸員や解説員を務めている美術館に惜しみなく美術品を寄付し続けたことや、必要なときに見返りを考えずに援助やプレゼントをくれたことなど尽きません。


 


私たち家族、そしてギャラリーのスタッフとその家族(彼自身はそのような区別をすることはありませんでしたが)は、彼のお茶目な性格を心にとどめることでしょう。タクシー運転手に吹っ掛ける難問漢字テスト、中国語を操る喜び、ジョーク、ダジャレ、アクセントのモノマネで私たちを笑わせる彼の能力は秀でていました。私たちの家を訪れるたびに家具の配置を変え、部屋を見違えさせたがる彼の気配り、贈り物をするのが大好きだった彼、特に豪華な旅行をすることやイッセイ・ミヤケの服への入れこみ、そして仕事でも家庭でも溢れる彼の想像力、創意工夫、賢さ、遊び心など。


 


彼がどれほど私たちを大切にしてくれたかを忘れることはできません。人生を変えるような素晴らしいキャリアを得た者もいれば、人生を築くための優れた道徳的・教育的基盤を得た者もいます。私たち全員に忘れがたい経験、機会、思い出を与えてくれました。常に私たちをサポートし、一度その気になれば成し遂げられないことなどないと心から信じていました。揺るぎない信頼を私たちに寄せ、これほど深く愛してくれる人はもう二度と現れないでしょう。彼が私たちを誇りに思ってくれていることを願っています。


 


パパ、グランパ、社長、ノーマン天国での晩餐会と神のアート・コレクションは、あなたの大きな存在感によって大いに改善されるに違いありませんが、あなたがもうこの世にいないことは、残された人々を長く深い悲しみに沈めることでしょう。


 


どうか今日、ノーマン・トールマンの思い出にグラスを傾けてください。彼は並外れた人生を送った愛すべき人物でした。






 



アリスン・トールマン


ヒラリー・トールマン


ルカ・マティノー


長尾英司


丸岡大介


丸岡幸枝


望月心


福田清之


関谷豪云


2025年1月15日





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