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Artists
橋本 興家
橋本 興家
b.1899
バイオグラフィー
橋本 興家(はしもと おきいえ / HASHIMOTO Okiie)
1899–1993
鳥取県生まれ
木版画家
橋本興家は、1899年10月4日、鳥取県八頭郡に生まれた。1920年に鳥取県師範学校を卒業して小学校教員となった後、1921年に東京美術学校師範科へ入学。1924年に同校を卒業し、富山県立女子師範学校および同県立高等女学校で教員を務めた。1925年には東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校)へ移り、1956年まで長く教育に携わった。
橋本はもともと油彩画を学んでいたが、1930年代初頭から版画に関心を持つようになる。1936年、版画家平塚運一が東京で開催した木版画の短期講習を受講し、これが橋本にとって木版画制作を学ぶ唯一の正式な機会となった。その後、平塚とは親しい友人となり、平塚を中心とする「代々木派」の活動にも参加した。
1937年には、国画会展と日本版画協会展に初入選。同年の国画会展には《名古屋城》《大阪城》を出品しており、早くから日本の城郭を重要なモチーフとしていたことが分かる。1938年には新文展にも初入選し、その後も城を題材とする作品を継続的に発表した。
また、橋本は恩地孝四郎を中心とする「一木会(第一木曜会)」にも参加した。1950年に刊行された一木会最後の版画集『一木集』には、橋本の《八丈島の八重根》が収録されている。こうした活動を通じて、橋本は日本の創作版画をめぐる重要な作家たちとの交流を深めていった。
戦前から橋本が特に好んだのが、日本の古城と庭園である。城郭を単なる歴史的建造物として描くのではなく、石垣、門、樹木、庭園などを幾何学的・装飾的に整理し、光と影や異なる視点を組み合わせて独自の画面を構成した。特に砂庭などの日本庭園では、静謐な雰囲気と、反復する線や形による幾何学的な構成が共存している。
1940年代には、城を題材とした作品をまとめた画文集『日本の城』を刊行。また、戦後の1946年には版画集『古城十景』を刊行した。その後も『日本の名城版画集』『日本の城』などを発表し、橋本の「城の版画家」としての評価を確立していった。
戦後になると、橋本は日本国内だけでなく海外の展覧会にも積極的に参加した。1957年の第1回東京国際版画ビエンナーレには《菱の門》を出品。その後、1960年のローマ日本現代版画展、1962年のルガノ国際版画ビエンナーレ、1964年のストックホルム日本現代版画展などにも参加し、国際的にも知られるようになった。
1974年から1980年まで日本版画協会理事長を務めた。1971年には紺綬褒章、1980年には勲四等旭日小綬章を受章している。
晩年には、自身の作品を美術館などへ大量に寄贈した。1987年には愛媛県立美術館に代表作75点、鳥取県立博物館に88点を寄贈し、翌1988年には鳥取県境港市に199点を寄贈している。これらは現在、橋本の作品をまとまって見ることのできる重要なコレクションとなっている。
1993年8月18日、脳梗塞のため埼玉県所沢市の病院で死去。93歳だった。
橋本 興家
橋本 興家
緋鯉のいる庭
1970
イメージ:
53.5 × 42 cm
シート:
61 × 46.5 cm
橋本 興家
とび石の庭(庭 No21)
1962
イメージ:
54 × 42.5 cm
シート:
61.5 × 47 cm
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